【新選組】遺体は海中投棄…宮古湾海戦、敵に果敢に斬り込み壮絶な最期を遂げた「野村利三郎」の生涯:2ページ目
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釈放から壮絶な最期まで
釈放された野村利三郎は相馬主計と共に旧幕府軍へ合流し、陸軍隊長•春日左衛門(かすが さゑもん)の指揮下に入りました。
奥羽越列藩同盟(おううえつ•れっぱんどうめい。東北及び北陸諸藩)と共に各地を転戦し、仙台で新選組の副長であった土方歳三(ひじかた としぞう)らと再会します。
そして榎本武揚(えのもと たけあき)の艦隊に合流し、蝦夷地箱館(北海道函館市)へ渡りました。
蝦夷地へ渡航後、利三郎は新選組には復帰せず、陸軍隊の中堅を担い続けます。
しかし隊長の春日とは反りが合わなかったようで、命令違反などトラブルを起こしていました。
蝦夷共和国の成立後は陸軍奉行添役に就任。これは陸軍奉行の土方を補佐する役で、やはり古巣の方がやりやすかったのかも知れませんね。
そして明治2年(1869年)3月25日、宮古湾海戦においては乗り組んだ回天丸から、敵の主力艦である甲鉄へ果敢に斬り込みました。
しかし武運つたなく討ち死にし、その遺体は宮古湾に投棄されてしまいます。享年26歳。
終わりに
今回は新選組の末期に入隊し、宮古湾海戦で壮絶な最期を遂げた野村利三郎について、その生涯をたどってきました。
その死は多くの仲間たちから惜しまれ、函館称名寺の新選組供養碑には、その名が刻まれています。
※参考文献:
- 菊地明ら編『戊辰戦争全史 下』新人物往来社、1998年4月
- 『新選組468隊士大名鑑 完全版』小池書院、2007年11月
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