
「べらぼう」後に徹底排除される田沼意次(渡辺謙)!なぜ彼は”悪の汚職政治家”のレッテルを貼られたのか?【後編】:2ページ目
決して重農主義一辺倒ではなかった享保の改革
徳川吉宗が行った「享保の改革」では、さまざまな政策が打ち出されましたが、ここでは主に経済政策に焦点を当てて取り上げます。
※参考記事↓
「暴れん坊将軍」こと8代将軍・徳川吉宗は本当に名君だったのか?〜 享保の改革の光と影
改革の割を食う庶民たち「暴れん坊将軍」でも有名な徳川幕府の八代将軍である徳川吉宗。彼は、享保の改革により幕府財政を改善した、江戸時代屈指の名君と謳われてきました。[caption id="…
上米の制は、大名に対し石高1万石につき100石の米を献上させる代わりに、参勤交代の際の江戸在府期間を1年から半年に短縮するというものでした。吉宗はこの制度を利用して米の流通量を調整し、米価の安定を図るために米相場に介入しました。この政策により、吉宗は「米将軍」と呼ばれるようになったのです。
また、新田開発においては、幕府の財政難を補うため、それまで禁止されていた町人請負による開発を推奨しました。これにより、商人などの民間資金を活用する方針へと転換し、民間主導の開発政策が推進されました。
商業政策としては、「株仲間」と呼ばれる専売同業者組合を公認し、その代わりに運上や冥加といった税金を徴収して幕府の収入を増加させました。
徳川吉宗が行った「享保の改革」は、一般的に「重農主義的」であったとされます。しかし、その改革は農業を基盤としながらも、商業の重要性を的確に取り入れていたと言えるでしょう。
3ページ目 寛政異学の禁で商業を否定し、上下の秩序を強調する