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守銭奴か女傑か!?室町時代”最恐の悪女”「日野富子」のラスボス人生【後編】

守銭奴か女傑か!?室町時代”最恐の悪女”「日野富子」のラスボス人生【後編】

室町幕府第8代将軍・足利義政の正室、日野富子(ひのとみこ)。日本三大悪女に数えられる富子は、如何にして日本史を代表する悪女となったのか。前回に引き続き、その生涯を追っていきましょう。

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【前編】の記事はこちら↓

側室を全員追放!私腹を肥やしクーデターも!日本三大悪女のひとり「日野富子」の闇っぷりが凄まじい【前編】

永享12年(1440年)、室町幕府が開闢して2年ほど経った頃、足利将軍家と深いつながりがあった名門・日野家に1人の玉のような女の子が誕生しました。彼女の名は「富子」。16歳で室町幕府…

お金貯金しまくりな富子

実は富子が悪女と呼ばれた理由は、まだあります。それは巨額の貯金をこしらえたという事でした。え?散財じゃなくて、貯金したならいいじゃない。と思いますよね、そうではないのです。

当時は長きにわたる応仁の乱で庶民は家や財産を失い、貧困に苦しんでいました。そういう民の声を無視して、富子は私腹を肥やしまくっていたのです。

その額なんと約70億円!!

関所の税までを私的に貯蓄しまくった富子の事を庶民は憎み、「悪女」「守銭奴」呼ばわりしていました。

夫と息子に先立たれ…。

やがて民衆の怒りは爆発し、一揆を起こして関所を破壊しました。富子は世の中の嫌われ者になってしまったのです。あれだけ溺愛した息子の義尚も、長じるにつれ母親の富子をうざったがるようになり、家出してしまった上に酒に溺れるようになってしまいました。

足利義尚像(日野富子の長男)Wikipediaより

そして延徳元年(1489年)、義尚は25歳の若さで夭折。意気消沈する富子に追い打ちをかけるように、翌年正月には夫の義政が死去してしまいます。

2ページ目 晩年はクーデターまで起こす始末…

 

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