
大河『べらぼう』に登場か!?喜多川歌麿の名作「寛政三美人」実在したモデルの正体は誰?:2ページ目
難波屋おきた(なにわや-)
生没年不詳。ただしモデルとなった寛政5年(1793年)時点で15歳前後だった場合、逆算して安永7年(1778年)ごろ生まれと考えられます。
桐の家紋がトレードマーク、これは実家のものか、勤め先である難波屋のものか判然としません。実家=奉公先(彼女が波屋の娘)ある可能性も考えられるでしょう。
後ほど紹介するように、寛政三美人の中ではトップクラスと評価されていたようです。
高島屋おひさ(たかしまや-)
生没年不詳。餅屋を営む兵衛(ちょうべゑ)の娘で、国の水茶屋に出ていました。家紋は三葉柏(みつばがしわ)で、見分ける時の目印になります。
愛敬も 茶もこぼれつつ さめぬなり とハはつ夢の たかしまやとて
※唐花忠紋(からばな ちゅうもん/ただあき)の狂歌
【意訳】愛敬もお茶もこぼれているが、彼女への興味はさめることがない。ここ島屋では、夢心地から醒めはしないだろう。
よほどお気に入り(お茶をこぼす辺り、ちょっとドジっ子?)だったようですね。しかし彼女は後に婿養子を迎え、二児をもうけるも若くして世を去ってしまいました。
富本豊雛(とみもと とよひな)
生没年不詳。浄瑠璃の人気流派として名高い富本節の名取芸者として評判の美女です。
※名取芸者とは師範のサポート役で、一門を名乗る権利が認められました(流派によって解釈の違いあり)。
家紋は桜草で、着物にも愛らしい花が慎ましやかに染められています。彼女が富本節を披露したエピソードも興味深いですね。