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名ばかり将軍たちの悲哀…室町幕府はなぜ ”ゆるブラック企業” 的な存在に?トップの無力ぶりを検証

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家臣が将軍を「すげ替える」時代に

室町幕府の後半では、将軍が力を持たずに“立てられる存在”となり、家臣たちの都合で将軍が交代させられる「すげ替え」が行われるようになります。

たとえば、十代将軍・義稙(よしたね)は何度も将軍の座から追われ、復帰してはまた追放されるという“リピート就任”すら経験しています。

極めつけは、十五代将軍・足利義昭。織田信長に担がれて将軍となりますが、のちに信長と対立し、京都から追放されてしまいます。

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この時点で、将軍職はもはや「実権あるリーダー」ではなく、「使えるかどうか」で価値を決められる道具のような扱いだったといえるでしょう。

形式と実態がズレた組織の末路

こうした将軍たちの姿は、現代における“役職だけが立派な社長”に重なる部分があります。肩書きはあるけれど、実際の決定権は部下が持っている。責任だけは残り、信頼や実行力がともなわない。

それが“ゆるブラック企業”的な組織体質だったとも言えるのではないでしょうか。

けれども、このような不安定な時代の中で、地方の武士たちは自ら動き出す力を育てていきます。こうして「下剋上」が進み、やがて戦国時代が幕を開けていくのです。

将軍が将軍でいられなかった時代の意味

室町幕府は、将軍という制度がありながら、将軍がリーダーシップを発揮できない時代でした。けれどもその矛盾と混乱のなかから、「リーダーとは何か」「名目と実態はどうあるべきか」という問いが浮かび上がります。

この時代の将軍たちをただ「無力だった」と見るのではなく、時代の流れや制度の限界を映し出した存在として見ると、歴史の見え方が変わってきます。

“肩書きがすべてではない”。そう語りかけてくるような、静かな重みが室町将軍の背中にはあったのかもしれません。

参考文献

 

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