政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【後編】:4ページ目
優しさと誠実さにあふれた千姫
1666年、千姫は70歳でその生涯を終えました。戒名は「天樹院殿栄譽源法松山禅定尼」。その墓所は小石川の伝通院と茨城県常総市の弘経寺にあり、京都の知恩院には分骨された宝塔が建てられています。
彼女の人生は波乱に満ちていましたが、決して悲劇だけではなかったといえるでしょう。なぜなら、彼女が経験した数奇な運命が、徳川260年の政権を支える大奥の礎を築くことにつながり、いわば「徳川家のゴッドマザー」ともいうべき存在となったからです。
最後に、千姫の人となりを伝える逸話をご紹介します。彼女は亡くなるまで、自らの屋敷にある持仏堂で、豊臣秀頼や本多忠刻を供養していました。そこには、自身のために命を落とした坂崎直盛も祀られていたのです。
自らと関わりのあった人々を決して蔑ろにしない。そんな優しさと誠実さこそが、千姫の真の姿であったと言えるでしょう。
※参考文献:樋口清之著 『もう一つの歴史をつくった女たち』ごま書房新社
