実は戦国初の天下人は信長ではない!京都を制した真の革命児・三好長慶の知られざる功績の数々:2ページ目
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信長以前の革命児
長慶が拠点とした飯盛城跡(大阪府大東市、四條畷市)と芥川城跡(同高槻市)は、それぞれ2021年と2022年に国史跡に指定されました。
飯盛城は石垣が多用され、信長の岐阜城や安土城に先駆けた技術も明らかになっています。
この城には、長慶の裁きを求める村人や公家のほかキリスト教宣教師らも訪れ、歌会も催されるなど、まさに天下の政庁として機能していました。
こうした功績に比して知名度が低い理由については、戦後、郷土の英雄として各地の戦国大名が注目される中、中央で活躍した長慶への関心は高まらなかったからだと考えられています。
最近は織田信長のみを戦国期の「革命児」と英雄視する見方を改め、信長以前に活躍した武将を再評価する動きが進んでいます。そのおかげで、長慶にもようやく光が当たるようになったのです。
乱世を持ち前の先見性で生き抜き、将軍に並ぶ家格を得て各地に影響を与えた長慶は、今後の戦国史研究においても鍵を握る存在になりそうです。
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
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