手洗いをしっかりしよう!Japaaan

大河「べらぼう」蔦屋重三郎、次の舞台へ!新しい幕開けを飾る桜並木と当代一の花魁・誰袖(福原遥)【前編】

大河「べらぼう」蔦屋重三郎、次の舞台へ!新しい幕開けを飾る桜並木と当代一の花魁・誰袖(福原遥)【前編】:3ページ目

春になると突如現れる「吉原・仲之町の桜並木」

さて、『伊達模様見立蓬莱」を含む、全10冊もの新作・黄表紙本を一気に出版した蔦重。『伊達模様見立蓬莱』の巻末には、蔦重自身が他の本の宣伝をしている口上のページがあり、蔦重自身も舞台に上がり新作の宣伝をしていました。

さらに蔦重は、りつ(安達祐実)に紹介された、戯作者・浄瑠璃作家として名高い烏亭焉馬(柳亭左龍)に、「話の中に、耕書堂の名前をちらっと出してもらえませんか?」と頼んでいましたね。

そして、1780年(安永9)正月、江戸の外記座で初演され現代でも知られる演目『碁太平記白石噺』7段目「新吉原の段」では、「本重」なる蔦重のような貸本屋が登場していました。

ドラマでは芝居好きの娘さんらが実際に耕書堂を訪れて、蔦重に劇中のセリフ「細見を急ぎます」を言わせて、キャ〜ッとなるところはまさに現代と同じ。蔦重が「会いに行けるアイドル」となっている展開が面白かったです。

余談ですが、蔦重が一気に出版した10冊の作者は、朋誠堂喜三二、画は山東京伝や北尾重政などが多くみられたのですが、中でも面白いのは『夜野中狐物』という本。「よのなかこんなもの」と読ませるのが、なんとも洒落ています。

花が咲いた桜の木をメインストリートに移植

寒さも緩み、春が訪れる頃には『耕書堂』は大ブレイクし大賑わいとなります。今回、蔦重が吉原の大道り・仲之町に咲き誇る満開の桜並木を見上げながら、そぞろ歩くシーンがありました。花びらがひらひら舞う桜並木、これは人工的に作られたものです。

当時、吉原では、客を呼んで楽しませるためにいろいろな年中行事を催していたのですが、3月の「春の夜桜」は名物だったとか。その年の寒暖に合わせて桜の木を植える日を調整し、他所から満開に近い桜の木を運び仲之町に移植。散ったら撤去するという大事業だったそうです。

『江戸名所花暦』(文政10年/1827)の「新吉原」の項目には、

毎年三月朔日よし、大門のうち中の町通り、左右を除けて中通りへ桜数千本を植うる。

〜中略〜花遅ければ朔日より末に植込むこともあり。葉桜になりても、人なほ群集す

と、数千本の桜を植えたと一文があります。(実際には、もっと少ないという説も)

当時、桜並木の足元には、黄色の山吹を植え周りは青竹の垣根で囲い、夜はぼんぼりを灯して夜桜を楽しんだそうです。夜の闇にほのから灯りに照らし出されたピンク色の桜は、さぞかし幻想的だったでしょう。

この桜並木はかなり見事だったようで、江戸っ子はもちろん、地方からの観光客や参勤交代の武士など大勢の人が訪れました。普段は自由に出入りできない一般女性にも解放され、花魁を一目見たいと訪れる人も多かったそうです。

4ページ目 桜のように花開いた「かをり」こと「誰袖」

 

RELATED 関連する記事