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足利義満の容赦ない「皇位簒奪計画」…義満と天皇の権威の壮絶なるせめぎ合いとその結末【後編】

足利義満の容赦ない「皇位簒奪計画」…義満と天皇の権威の壮絶なるせめぎ合いとその結末【後編】:3ページ目

天皇の権威の復活と新たな視点

従来の説では、応仁の乱に始まる戦国時代で天皇の世俗的統治権は喪失し、その権威は衰退したとされてきました。

しかし近年は、義満時代とは異なり、前項でも述べた通り後花園天皇が自ら綸旨を修正し発給したことで権威が上昇したとの見解があります。

また滋賀県立大学教授の脇田晴子氏は「文化の政治性」に着目し、文化や宗教上は戦国期に天皇の権威が浮上したと指摘します。

脇田氏は自著『天皇と中世文化』(吉川弘文館刊)の中で「戦国末期における衰微の極に達したかに見える天皇家が、逆に権威をもってくるのは、戦国大名の文化的編成を結果として果したからといえるのである。いわば中央を象徴する宮廷文化の諸国への普遍化・一般化が天皇権威を支えたのである」と述べています。

さらに、宗教面でも地域の神々が皇室祖先神と結びつき、天皇を中心とする統合が進んだと考えられているのです。

結局、義満以来衰退したと考えられてきた天皇の権威は意外に根強く、義満の死後にはすぐに復活したといえるでしょう。

参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:Wikipedia

 

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