
実は勘違いによる暴走!?江戸時代「大塩平八郎の乱」は正義どころか民衆にとって大迷惑の災害だった【後編】:3ページ目
義挙とされた理由
では、なぜ世評は大塩平八郎の乱を「義挙」と評価したのでしょうか。
前編でも名前を挙げた東北大の平川新名誉教授は「明治政府や自由民権運動などの動きと絡んでいる」と指摘します。
「戦後の歴史学も階級闘争論や民衆史的視点を重視してきた。乱は、民衆を救うために激しく権力批判をした義挙だという評価になり、それとともに英雄史観が定着した」というのです。
簡単にまとめれば、マルクス主義や左翼史観が悪影響を及ぼし、当時の民衆がどう感じたのかを史料から読み解いていく観点が欠けていたということでしょう。
そのため幕府や町奉行所・富商を攻撃した大塩を評価する見方が一般的となり、それが義挙説を援護する結果になったのです。
その反面、悲惨な被害に関する史料は顧みられなくなったんですね。
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史 最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社 (2024/10/7)
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