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幕末のヒーローは過大評価とウソだらけ!?坂本龍馬のイメージが崩れていくさまざまな新説

幕末のヒーローは過大評価とウソだらけ!?坂本龍馬のイメージが崩れていくさまざまな新説:3ページ目

認めがたい新説ばかり

他にも、龍馬にまつわるあれこれが作り話ばかりだという疑惑はたくさんあります。

例えば、龍馬が姉の乙女に書き送った手紙に記された「日本を今一度せんたくいたし申候」という有名なフレーズがありますね。

これも実は、龍馬が何度も会っていた開国論者・横井小楠の口癖だったという指摘があります。

そして龍馬は1867(慶応3)年、御存知の通り京都の近江屋で暗殺されました。この時、彼は刀を抜く間もなく頭を割られ、間もなく絶命しています。

そのあまりにも呆気ない最期に、近年、龍馬の剣術の腕前にも疑いの目が向けられているのです。

定説によると、龍馬は江戸に出てから千葉道場で北辰一刀流の修行を行いました。その後、道場の師匠から「北辰一刀流長刀法目録」を授与され、免許皆伝となっています。

このことから、龍馬は剣客としても一流だったと伝えられてきました。

しかし近年の研究により、龍馬が免許皆伝を授与されたのは、実は薙刀だったことが判明しています。それは北辰一刀流の中でも一番低い「初目録」だというのです。

どれもこれも龍馬ファンには認めがたい新説ばかりですが、現在はこうして新たな「坂本龍馬像」が構築されつつあります。

参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社(2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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