手洗いをしっかりしよう!Japaaan

【べらぼう】後に大事件を惹き起こす佐野政言(矢本悠馬)とは何者?史実から人物像と家系図をたどる

【べらぼう】後に大事件を惹き起こす佐野政言(矢本悠馬)とは何者?史実から人物像と家系図をたどる:2ページ目

佐野政言『寛政重修諸家譜』に曰く

政言
源之助 善左衛門 母は某氏。
安永二年八月二十二日家を継、十二月二十二日はじめて浚明院殿に拝謁す。六年二月七日大番となり、七年六月五日新番にうつる。天明四年三月二十四日営中にをいて田沼山城守意知を傷け、意知これがために死するにより、四月三日切腹せしめらる。妻は村上肥前守義方が女。
家紋 丸に剣木瓜 丸に左の古文字

※『寛政重脩諸家譜』巻第八百五十二 藤原氏(秀郷流)佐野

【意訳】佐野政言。通称は源之助(げんのすけ)、又は善左衛門(ぜんざゑもん)。母親は不明。

安永2年(1773年)8月22日に家督を継ぎ、同年12月22日に徳川家治へ拝謁する。

安永6年(1777年)2月7日に大番役を務め、翌安永7年(1778年)6月5日に新番役を務めた。

天明4年(1784年)3月24日に江戸城中で田沼意知に斬りかかり、意知が死亡したため切腹を命じられ、同年4月3日に執行される。

妻は村上義方女(肥前守よしかた娘)。子はいなかった。

家紋は「丸に剣木瓜(けんもっこう)」または「丸に左(さ)の古文字(こもんじ)」。

……代々の忠義を、ただ一度の暴挙で台無しにしてしまった政言。佐野一族の無念は察するに余りあるものです。

終わりに

今回は田沼意知を討って「世直し大明神」と讃えられた佐野政言について、その家系図をたどってきました。

一説には、田沼家は佐野一族の流れを汲むそうですが、果たしてどこから枝分かれしたのでしょうか。

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、この家系図問題がどのように描かれていくのか、楽しみですね!

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第5輯』国立国会図書館デジタルコレクション
 

RELATED 関連する記事