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幸せを目前に…吉原遊廓で”無双の花魁”だった「若紫」がたどった悲劇の最期とは?

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若紫は暴漢によって刺殺されてしまったのです。

犯行の動機は諸説あるようで、若紫の結婚を怨んで無理心中を図ったとか、まったく無関係の通り魔に襲撃されたとも言われます。

結婚まであと数日だったのに、若紫こと勝田信子は、若い生命を散らされてしまったのでした。

女子姓は勝田。名はのふ子。浪華(なにわ)の人。若紫は遊君の号なり。明治三十一年始めて新吉原角海老楼に身を沈む。楼内一の遊妓にて其(その)心も人も優にやさしく全盛(ぜんせい)双ひ(ならび)なかりしが、不幸にして今とし(今年)八月廿四日思はぬ狂客の刃に罹(かか)り、廿二歳を一期として非業の死を遂けたるは、哀れにも亦(また)悼ましし。そが亡骸を此地に埋(うず)む。 法名紫雲清蓮信女といふ。茲(ここ)に有志をしてせめては幽魂を慰めはや(しずめばや)と石に刻み若紫塚と名(なづ)け永く後世(ごせい)を弔ふことと為(な)しぬ。

※永井荷風『断腸亭日乗』より、若紫塚記(昭和12・1937年6月22日)

若紫プロフィール

  • 本名:勝田信子(かつだ のぶこ)
  • 生没:明治15年(1882年)生~明治36年(1903年)8月24日没(享年22歳)
  • 出自:武家か(諸説あり)
  • 故郷:浪速(大阪府)
  • 職業:吉原遊女/明治31年(1898年)~
  • 所属:角海老屋
  • 死因:刺殺(無理心中?通り魔?)
  • 墓所:浄閑寺(東京都荒川区南千住)
  • 戒名:紫雲清蓮信女

かくして非業の死を遂げた若紫は、投げ込み寺として知られる南千住の浄閑寺(じょうかんじ。東京都荒川区)に葬られます。

法名(戒名)は紫雲清蓮信女(しうんせいれんしんにょ)。多くの遊女たちが無縁仏として十把一絡げで葬られたのに対して、ちゃんと人間らしく弔われたことから、その別格さがわかるでしょう。

生まれては
苦界(くがい)、死しては
浄閑寺

※川柳(花又花酔)

吉原遊郭の大門を生きて出られた遊女は一握り。若紫もまた、自由を夢見ながら果てたのでした。

吉原遊郭には他にも多くの遊女たちのエピソードが伝わっているので、改めて紹介したいと思います。

 

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