派閥抗争 正室VS側室!6代将軍・徳川家宣の時代の大奥が史上最強にドロドロすぎた【前編】:2ページ目
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慌てる天英院
慌てたのは天英院です。家宣が天英院に寄せる信頼は厚く、将軍に就任したのちもたびたび江戸城内の吹上と呼ばれる庭園を2人で散歩したり、家宣が政治の事で悩んだ時には手紙や文書を天英院に見せて相談したりしていたにも関わらず、彼女には跡継ぎが居なかったために大奥内での力を月光院に奪われんとしていたのです。
天英院は鍋松誕生の2年後には再度お須免の方に虎吉という男の子を生ませていますが、その虎吉もすぐに亡くなります。
家宣死去で最年少将軍誕生!
そして事件が起こります。その翌年正徳2年(1712)には他ならぬ家宣自身がインフルエンザでこの世を去ってしまうのです。つまり、家宣の子供は鍋松ただ1人を除いて全員が早世してしまったという事になります。
この時、鍋松は数えでわずか4歳。翌年の正徳3(1713)には5歳でやむを得ず元服し、名を家継と改めて7代将軍の座に就きます。後にも先にも史上最年少の将軍が誕生した瞬間でした・・・!
【後編】の記事はこちら↓
派閥抗争 正室VS側室!6代将軍・徳川家宣の時代の大奥が史上最強にドロドロすぎた【後編】
前回に引き続き、6代将軍・家宣の正室・天英院VS家宣の側室・月光院の対立を中心とした大奥のドロドロ派閥抗争について、ご紹介します。前回の記事はこちら[insert_post id=23821…
参考文献:堀口茉純「TOKUGAWA15」草思社
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