徹底的な報復で352名が処刑!幕末の激動期 最大の悲劇「天狗党の乱」とは?:2ページ目
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徹底的な報復が行われ352名が処刑
天狗党の暴走を受け、幕府は鎮圧を決定しました。最終的に天狗党は加賀藩に降伏し、幕府軍に引き渡されます。
捕らえられた天狗党の兵士たちは敦賀で過酷な環境に拘束され、最終的に352名が処刑されました。この処刑には天狗党の家族も巻き込まれ、徹底的な報復が行われました。
結局この一件は、水戸藩内の派閥争いや思想的対立をさらに深刻化させることになりました。
この事件における犠牲者は、天狗党だけでなく、その家族や関係者にも及んだといいます。また、乱の影響で水戸藩は多くの優秀な人材を失い、その後の明治政府においても影響力を発揮することができませんでした。
このようにして、後の時代にまで強く影響を残すことになったのです。
参考文献
- 栃木市史編さん委員会 編『栃木市史 通史編』(1988年)
- 水戸市史編さん委員会 編『水戸市史 中巻(五)』(1990年 )
- 山川菊栄『覚書 幕末の水戸藩』(1991年 岩波書店)
- 長谷川伸三(他)『茨城県の歴史』(1997年 山川出版社)
- ヴィクター・コシュマン『The Mito Ideology 水戸イデオロギー:徳川後期の言説・改革・叛乱』(1998年 ぺりかん社、原著1987年)
- 吉田俊純『水戸学と明治維新』(2003年 吉川弘文館)
- 高橋裕文『幕末水戸藩と民衆運動 尊王攘夷運動と世直し』(2005年 青史出版)
- 奈良勝司『明治維新と世界認識体系 幕末の徳川政権 信義と征夷のあいだ』(2010年 有志舎)
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