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事件や天変地異、妖怪ネタまで…江戸の庶民に親しまれた「読売」とは?その歴史をたどる【大河べらぼう】

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江戸後期~衰退まで

読売が大量出版されるようになったのは天保の改革期以降と考えられています。

例えば安政江戸地震(安政2・1855年)の直後には読売「関東江戸大地震并大火方角場所附」が発行され、各地の被災状況や幕府が設営して御救小屋(救護・炊き出し施設)の場所などが記載されたそうです。

さらに幕末ともなると、江戸城の下馬先(どんな身分の者も馬を下りなければならない地点)で大名行列を相手に読売を販売する光景が名物となりました。

もはや幕府のご禁制もへったくれもありませんね。諸大名らとすれば、到着したばからの江戸事情をいち早く入手するツールとして重宝したのでしょう。

この頃になると、読売の粗雑なものとして「瓦版」の呼び名が登場するようになります。

明治時代に入って新聞や雑誌が台頭してもなお庶民のメディアとして奮戦しました。

読売や瓦版が消滅したのはおよそ明治20年代(1887~1896年)ごろ。その後は大正・昭和・平成・令和の時代を越えて、現代では新聞社の名前や、ビラの雅称としてその存在を伝えています。

終わりに

今回は江戸時代のメディアである読売(絵草紙、瓦版など)について紹介してきました。

令和7年(2025年)NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」でも、劇中多くの読売が読みかわされることでしょう。

こうした江戸の庶民文化について興味が出てきたので、また調べて紹介したいと思います!

※参考文献:

  • 森田健司『江戸の瓦版~庶民を熱狂させたメディアの正体』洋泉社、2017年7月
  • 『精選版日本国語大辞典 第1巻』小学館、2005年12月
 

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