手洗いをしっかりしよう!Japaaan

野球発祥の地は新橋だった!? 知られざる野球の伝道師はなんと徳川家 家臣の子孫

野球発祥の地は新橋だった!? 知られざる野球の伝道師はなんと徳川家 家臣の子孫:2ページ目

平岡さんは徳川家家臣の子孫

野球場まで作ったとは…、この平岡さん何者?と思ったら、なんと田安徳川家の家老を務めた家に生まれた人でした。田安徳川家といえば、第8代将軍吉宗の次男を家祖とし、明治維新後に徳川宗家を継いだ徳川家達さんが有名です。

平岡さんはアメリカへ自費留学しましたが、中退して機関車工場で工員として働き、そこで機械類の製造技術を身につけます。帰国後は工部省鉄道局に入り、その後独立。明治23年(1890)に創業した平岡工場は、日本初の民間鉄道車両メーカーでもあります。

また、平岡さんは日本人初のカーブを投げたともいわれ、その球は魔球といわれたとか。
彼は前述した正岡子規にも色々な野球の知識を伝授し、慶応義塾大の学生にも野球を教えて普及につとめます。こういった活動が大学野球の発展に礎になったということです。

残念ながら明治21年(1888)、平岡さんの退職と共に「新橋アスレチック倶楽部」は解散。しかし功績をたたえられ、1959年に野球殿堂入りをはたしています。また、その名を後世に伝えるため、2010年から全日本クラブ野球選手権大会の優勝チームへ「平岡杯」が授与されています。

初の野球チーム、初のカーブ…まさに初づくしの人生。
たった一人の熱意から、国民的スポーツに発展するなんて凄いことですね。

 

RELATED 関連する記事