
なんと縄文人の製塩技術はアジア圏で最古だった!?〜 ここまでわかってきた縄文時代:2ページ目
土偶や装飾品にもこだわり
化石からアクセサリー!
千葉県船橋市の取掛西貝塚の「ツノガイ」や「タカラガイ」は、長野県の栃原岩陰遺跡からも出土していて、沿岸部の貝が内陸部に流通していたことが判明。しかもその貝らは、遺跡よりも数万年も古いことも判明したそうです。
ということは、わざわざ化石を地層から掘り起こしてアクセサリーに仕立てたということです。
その理由は、貝は化石になると白くなるので、白い装飾品を作りたかったのでは?ということ。その証拠に、つややかな白いたくさんの貝輪や、滑車型ピアスも出土。
男女どちらも身に着けた可能性があり、立場の違いを示すためと考えられています。今までより、文化的な縄文人の姿が浮かび上がりませんか?
土偶の意味と役割
仮面の女神や遮光器土偶など、そのユニークな形状で謎を呼ぶ土偶。土偶は、初期から「妊娠した女性」を象るものが多いです。
その集落で出土する土器と土偶の文様が似ているため、そのムラを特徴づける文様があったと考えらえています。
定住化が進むと狩りをするもの、木の実を加工する者など役割分担が生まれます。
ですので土偶は、ムラの未来を支えてくれる一員として、子どもの誕生を祈る気持ちから創作されたものでは、と推測されています。
土偶は縄文時代の全ての時代と遺跡から出土しているわけではなく、
・5000年前は長野や山梨
・3800年前は千葉や茨城
・3000年前は青森や岩手
と、時代と地域差があります。面白いですね。
これは何を意味しているのでしょうか。
・ある部族の文化が伝播して流行った?
・その文化を持つ部族が移住した?
定住化が進んだので後者は考えにくいですね。民族大移動ではなく、他の村々へ情報を得るために旅をした一部の人間同士の交流で、伝わったものかもしれません。
まだまだ面白い縄文時代。これからも発見に期待したいですね。
参考:『縄文時代を解き明かす 考古学の新たな挑戦』