【光る君へ】目が見えない三条天皇、民が見えない道長…史実を基に11月10日放送を振り返り:4ページ目
蔵人頭となった藤原兼綱とは?
藤原資平(篠田諒)を差し置いて蔵人頭となった藤原兼綱(かねつな)。
亡き藤原道兼(玉置玲央)の三男として言及されていますが、どんな人物だったのでしょうか。
藤原兼綱は父の没後、伯父である藤原道綱(上地雄輔)の養子となりました。つまり完全に道長派の人物です。
三条天皇や敦明親王の贔屓によって蔵人頭となるも、やがて三条天皇が敦成親王(後一条天皇)に譲位すると蔵人頭の職を失いました。
後任の蔵人頭は藤原資平。ちょっと遅くなりましたが、結果的にはよかったようです。
その後も永らく兼綱の出世は滞り、結局公卿に列することは叶わずじまい。地方官に転じて生涯を終えたのでした。
劇中でも言及されるのみで、恐らく登場しないのではないでしょうか。
大宰府の名医・恵清とは?
眼を負傷してしまった藤原隆家(竜星涼)が大宰府行きを願ったのは、宋からやって来た名医・恵清(けいせい/えしょう)がいたから。
この人物は生没年不詳、医術に優れていたために来日し、大宰府に滞在していました。
長和3年(1014年)に陸奥出羽按察使(むつでわのあぜち)を務めていた藤原清賢(きよかた)から、眼病治療に千両の砂金を払ったそうです。
果たして隆家の眼病は治るのでしょうか。京都で帰りを待つ脩子内親王(海津雪乃)と清少納言(ファーストサマーウイカ)のためにも、政界復帰を期待しましょう。