幕末の悲劇…討幕に貢献するも新政府に切り捨てられた志士・相楽総三と赤報隊の末路:3ページ目
相楽総三と赤報隊の末路
赤報隊は新政府によって捕縛され、相楽総三ら8名の赤報隊幹部は下諏訪宿のはずれで処刑されます。相楽総三、享年30歳。妻もこの訃報を聞き、後追い自殺をしました。
赤報隊の1番隊はメインメンバーが多かったため処刑されたものが多く、3番隊も略奪行為が目立ち処刑されたものが多数いました。2番隊は新政府に従軍、京都に戻り徴兵7番隊に編入。
相総三の孫である木村亀太郎が赤報隊関係者と共に奔走し、昭和に入ってようやく多く隊員の名誉が回復されました。
まとめ
今回は、相楽総三と赤報隊について紹介しました。討幕のために薩摩藩や新政府の命を遂行したにも関わらず、最後は邪魔になって新政府に切り捨てられた相楽総三と赤報隊。
新政府軍として戦った側にも、まるでトカゲの尻尾切りのような出来事があったのです。
トップ画像:相楽総三の家族。総三の死後(Wikipediaより)