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尼将軍・北条政子の有名な暴力行為「夫の浮気相手の家を”破壊”」実は当時の風習だった!?

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「後妻を襲う」ことは認められていた

じつは中世初期の当時にあっては、こうした破壊行為はそう珍しくないことだったのです。当時は、「後妻(うわなり)打ち」と呼ばれる風習があったのです。

当時は夫と離縁した妻とその一族には、その夫が新たな妻を迎えたとき、後妻の家を襲って、家を傷つけたり、家財道具を壊すことが認められていました。政子が指示した襲撃もその「ルール」に従ったものといえるでしょう。

とはいえ、ほかにも夫の女性関係に関する北条政子の「強さ」を示すエピソードはいくつかあります。例えば、大進局という女性については、頼朝との間に生まれた子の出産に伴う儀式をすべて省略し、5年後に鎌倉から追放しました。

また祥寿姫という女性については、頼朝が妻として迎えようとしたところ、祥寿姫の父である新田義重が、なんと政子の怒りを恐れて他家に嫁がせています。

また、丹後局については頼朝の子を身籠っていることを知った政子が激怒し、追放されてしまいました。

こうして見ていくと、北条政子の恐妻っぷりはなかなかのものですが、頼朝も「懲りない」人ではありますね。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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