【光る君へ】悲恋の皇女…藤原伊周 嫡男・道雅との恋を引き裂かれた「当子内親王(三条天皇女)」の生涯をたどる:2ページ目
2ページ目: 1 2
引き裂かれた藤原道雅との恋
さて、天皇陛下が譲位すれば、斎宮はお役御免です。
残務を片付けた当子内親王は長和5年(1016年)9月3日に帰京。それからしばらくして、藤原道雅(みちまさ。藤原伊周の嫡男)と恋仲になったという噂が流れました。
これを知った三条院(上皇)は激怒して道雅を勅勘(ちょっかん。陛下直々のお怒り)。二人の仲を引き裂いたのです。
「二人を手引きしていた中将内侍(ちゅうじょうのないし)も追放せよ!」
この措置に対して、世間では二人に同情的な声が上がりました。
「「現役の斎宮と密通したというならともかく、もう還俗されたのだから、恋愛くらい許して差し上げてもよいのでは……?」」
しかし許されることはなく、寛仁元年(1017年)に当子内親王は出家させられます。
そして治安2年(1022年)に22歳の生涯を終えたのでした。
終わりに
今はただ思ひ絶えなんとばかりを
人づてならで言ふよしもがな
※道雅が当子内親王との別れを悲しんで詠んだ歌。「小倉百人一首」に採録。
今回は三条天皇の皇女で伊勢の斎宮を務めた当子内親王の生涯をたどってきました。
引き裂かれた後の道雅は大いに荒れ狂い、世の人は彼を「荒三位(あらざんみ)」「悪三位」などと呼んだのでした。
道雅が大河ドラマ「光る君へ」に出てきた以上、彼女との悲恋を描かないことはないでしょう。
果たして誰がキャスティングされるのか、楽しみですね!
※参考文献:
- 倉本一宏『三条天皇 心にもあらでうき世に長らへば 』ミネルヴァ書房、2010年7月
ページ: 1 2