禁断の大奥 色情まとめ!”好色禁止”の奥女中たちが身を焦がした激しすぎる性愛スキャンダル【後編】:3ページ目
【側室の父親が住職の寺で繰り広げられた乱行「感応寺事件」】
江戸時代、男に飢えた大奥の女中がイケメン僧侶と密会するため通いつめた「感応寺」とは?
江戸時代後期に徳川家の第11代将軍として君臨した徳川家斉。側室は16人以上、子供は50人以上もいたと言われる絶倫将軍です。この絶倫将軍が美しすぎる女性「お美代の方」と出会い、「感応寺事件」と…
同じく、享和3(1803)年11代将軍・家斉の治世の頃。
家斉の側室、お美代の方は実父が住職を務める智泉院を、将軍家のご祈祷所にしてもらうようおねだり。
しかしながら、将軍家の菩提寺は芝の増上寺と上野寛永寺があったために、智泉院を「御用取次」となりました。
お美代の方は、奥女中のストレス解消のため、智泉院へのお参りを推奨。智泉院では奥女中が足繁く通うように、若くイケメンの僧侶を接待役に揃えたのでした。
日頃、「好色禁止」の世界で生きている奥女中たちは、僧侶たちに夢中になり性愛に溺れていったそうです。
性の狂宴は人々の噂となり智泉院は摘発。僧侶たちは遠島の刑に処せられたのですが、大奥の奥女中は30人ほども関与したものの、事件がことさら大きくなることを避けたのかなぜか罪は問われなかったそうです。
華やかできらびやかな世界に見えつつ、実は女性たちの欲望・呪詛が渦巻く大奥。このほかにも、さまざまな事件が発生しています。
また、次の機会にご紹介しましょう。