吉原で生まれ貸本屋を営み…2025年大河ドラマ『べらぼう』主人公・蔦屋重三郎はいかにしてのし上がったか?:3ページ目
ガイドブック出版を独占
当時の貸本屋は各自の得意先を回りながら本を貸し出しましたが、重三郎の場合は吉原が商圏でした。彼が遊郭や茶屋などに足繁く出入りすることで、各店の事情に自然と詳しくなったのは想像に難くありません。
彼は貸本業を展開することで吉原の事情通となるとともに、吉原にコネクションを張り巡らせていき、おそらく販路の確保にも繋げたのでしょう。
重三郎が貸本業を通じて得た情報やコネクションは、出版業拡大の大きな追い風になりました。その中でも最たるものが、先に述べた通り『吉原細見』の出版を独占したことでしょう。
吉原細見は吉原で遊ぶ際には欠かせないガイドブックのことです。その出版は貞享年代(1684~88)まで遡ることができ、これには遊女屋、遊女の名前や位付け、芸者や茶屋の名前、遊女の揚代、綾日(吉原オリジナルのイベント日)、名物などが詳細に紹介されており、毎年春と秋の年2回刊行されました。
享保中期(1720年代)以後、吉原細見の出版が盛んとなり、参入する版元も増えましたが、やがて鱗形屋の独占状態になったのです。
こうした実績を足掛かりとして、蔦屋重三郎はその商才をいかんなく発揮していったのです。
ちなみに現在の「TSUTAYA」こと蔦屋書店は蔦屋重三郎とは直接の関係はありません。しかし創業者の祖父が営んでいた店の屋号が「蔦屋」であり、それは蔦屋重三郎にあやかったものだと言われています。
参考資料:『蔦屋重三郎とは何者なのか?』2023年12月号増刊、ABCアーク
画像:photoAC,Wikipedia