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誠の志は維新後も…「新選組」の中で明治維新後も生き抜いた3人の古参隊士たちの最期

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愛嬌ある顔つきで美男五人衆の一人、山野八十八

最後は山野八十八(やまの-やそはち)です。八十八は先述した2人と同じく文久3年(1863)に新選組に入隊します。愛嬌のある顔つきで常に笑顔を絶やさなかったので、怒った表情を見せたことがありませんでした。

また、八十八は他のイケメン隊士と共に美男五人衆と称されていました。それを裏付けるようにこのようなエピソードがあります。

まだ新選組の屯所が壬生寺近くにあったころ、その寺の裏にある「やまと屋」の娘が美女ということで隊士たちが狙っていました。

しかし、娘が惚れたのは八十八だけであり、2人はそのまま結婚しました。八十八が高嶺の花も落とせるくらいのイケメンだったことが伺えますね。

八十八は先述した2人とは違い、役職持ちではなく平隊士として沖田総司率いる一番隊に所属しておりました。しかし、新選組内で重要な任務を任されていた一番隊の中で八十八は目立った活躍をしませんでした。

そして、慶応4年(1868)に新選組が鳥羽伏見の戦いで敗れ、他の戦いでも次々と連敗していく中で八十八は箱館まで残りますが、降伏する前に離隊していました。

その後の八十八は、京都にある菊浜小学校で用務員として働きます。明治29年(1896)に退職後はやまと屋の娘との間でできた娘と再会。そして、八十八は69歳の年になる明治43年(1910)に亡くなりました。

最後に

新選組創設当初から支えた3人の古参隊士を紹介しました。3人は同じ文久3年に入隊したということで同僚のように感じられます。

また各々違う役職で活躍し、維新後も3人とも別々の生き方をしましたが、ふとした瞬間に新選組時代の思い出にふけっていたと思いますね。

参考

 

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