実は出世できるはずがなかった井伊直弼…彼はいかにして巨大な権力を持つ地位へ上り詰めたか?:2ページ目
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時代の流れに乗る
そんな直弼に大老の座が回ってきたのは、井伊家の家格と、時代の流れによるものが大きかったと言えそうです。
一八五三年(嘉永六)、ペリー艦隊が浦賀にやって来ると、国情は騒然としました。
幕府内部では大老待望論が沸き起こりましたが、このとき、直弼も候補に挙がります。なにせ井伊家は徳川譜代大名の名門であり、歴代大老十一人のうち五人を輩出しているという実績を持っていたからです。
他にも大老候補のライバルがいましたが、直弼は権謀術数を駆使して、大老の座を射止めたのでした。
このようにして見ていくと、彦根藩主の十四男という不遇の立場からのしあがっていったのは、その知略と強運のおかげでもあったと言えるでしょう。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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