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身命を賭してまで…江戸時代、広島藩5代藩主・浅野吉長の愚行に妻・節姫は切腹、その理由とは?

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吉長の行いに命を賭して諌めた節姫

しかしながら、当の吉長は節姫の態度に甘えてしまい、50歳を過ぎた頃に吉原の遊郭に通い始めます。それだけではなく、気に入った遊女2人と陰間2人の4人を身請して、一緒に領国に帰ろうとする始末。

吉長の行動に節姫は、「身請けするのは構いません。しかし、その者らを連れて帰国するのは非常識にほかなりませんので、お止めください。」と諌めます。

節姫にとって、遊女や陰間のような出自が不明な者たちを同伴させるのはあり得ないと考えていたことでしょう。

そんな節姫の説得虚しく、吉長は遊女と陰間に美しい装いをさせ、帰国の一行に同伴させました

これを知った節姫は、遺書をしたためた後、侍女に解釈を任せて切腹。

51歳となる享保15年(1730)に、自らの死を持って吉長を諌めることを選びました

死を知った吉長は節姫を厚く弔った

節姫の自害を知った吉長は、節姫を丁重に弔い、愛妾としていた遊女たちを遠ざけました

そして、節姫の弟で加賀藩5代藩主の前田吉徳(よしのり)に相談し、節姫は急病で亡くなったこととして幕府に報告します。

これにより、広島藩の改易と減法は避けられたのですが、非常に後味が悪いのは言うまでもありません。

 

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