身命を賭してまで…江戸時代、広島藩5代藩主・浅野吉長の愚行に妻・節姫は切腹、その理由とは?:2ページ目
節姫と吉長の仲は良好だった
一方の節姫は加賀藩4代藩主の前田綱紀の次女で、薙刀や乗馬が得意の男勝りな女性でした。
吉長の元には19歳となる元禄12年(1699)に嫁ぎ、後に広島藩6代藩主となる浅野宗恒(むねつね)を生んでいます。
また、節姫は気遣いできる性格でこのようなエピソードが残っています。
節姫は吉長に嫁いだ際に、吉長の周囲に児小姓(元服前の小姓)たちがいないことに気がつきました。
理由を尋ねると、男色の対象となる児小姓が新郎である吉長の周囲にいると、節姫とその実家の前田家に悪い印象を与えてしまうから全員他所に出したということを聞き出します。
これに節姫は「そのような気遣いは私に不要です。大名には児小姓が必要ということも理解しています。」と言って、浅野家家中から美少年を自ら選んで吉長の児小姓にしたそうです。
このことからわかるように節姫は吉長に理解を示しており、良い夫婦関係を築いていました。