【武将の就活】戦国大名の家臣は簡単に再就職ができたのか?戦国時代の官職について解説:3ページ目
再就職も可能だった?
戦国時代は下剋上の世の中だったので、家臣とはいえ、必ずしも全幅の信頼をおくことはできませんでした。そのため、大名は特に信頼できる家臣を側近として取り立てるようになります。
側近には、身の回りの世話をする小姓や近習だけでなく、右筆や取次といった要職もありました。
例えば右筆は、いわば大名の秘書にあたりますが、ただ文書を代書しただけではありません。大名に近侍していた存在なので機密情報にも接しており、大名の諮問にも答えることもありました。
他にも取次という役職もあり、大名と家臣、あるいは大名と他国の使者との対面の場で仲介を果たしていました。
こうした家臣は、いずれも、大名の判断で登用されています。当時は、江戸時代のように「武士は二君にまみえず」という意識もなかったので、大名家を渡り歩くことも珍しいことではありませんでした。
また、主家が滅亡したり、出奔して牢人になったりした場合も、旧主から与えられた感状などを提出して仕官を求めることができたようです。
ただ、大名から追放された場合にはなかなか再仕官はできなかった。というのも、当時は旧主の許可がなければ、新たな主君に仕官することが認められなかったからです。
これを奉公構といい、どんなに能力があっても、旧主によって再仕官を妨害されることも少なくなかったそうです。
参考資料:
『歴史人2022年5月号増刊図解戦国家臣団大全』2022年5月号増刊、ABCアーク
画像:photoAC,Wikipedia