【武将の就活】戦国大名の家臣は簡単に再就職ができたのか?戦国時代の官職について解説:2ページ目
奉行・代官・目付
さて、家老が参加する合議機関で決められた政策を実行したのが奉行(ぶぎょう)です。
もともと、奉行というのは命令を奉じて実行することを指す言葉です。役職としては、現代でいえば各省庁の事務次官にあたる存在でした。
彼らは領国を統治するため、政治・軍事・経済・外交・宗教など、それぞれが得意な分野で能力を発揮していました。
奉行の指示に従い、実際の支配にあたったのが、それぞれの家臣です。家臣は大名から安堵された土地を持っており、その土地を支配していました。
ただ、大名の領国が拡大すると大名の目が行き届かなくなる恐れも出てくるようになりました。そのため、家老を郡代として一郡単位で統轄させる大名もいました。
また、領内に散らばる大名の直轄地には代官(だいかん)が派遣されていました。代官とは、文字通り主君にかわって年貢の徴収などにあたった家臣のことです。
そしてこうした地方支配では、大名が家臣の動向をいちいち把握することが困難でした。そのため、家臣の行動を監察し、その不正を摘発するため目付(めつけ)という役職も設けられています。
ちなみに目付は、当時「横目(よこめ)」とも呼んでいたようです。