【光る君へ】恋多き女性・あかね(和泉式部)と熱愛の恋人・敦道親王とは何者か?その生涯をたどる:2ページ目
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和泉式部との関係
しかし長保4年(1002年)に兄の為尊親王が薨去すると、その恋人であった和泉式部に懸想するようになったのです。
アプローチの末に長保5年(1003年)夏ごろから交際開始。同年12月18日には召人(めしうど。愛人)として自邸に連れ込んだため、正妃(済時女)は激怒。出ていってしまいました。
妻と愛人を同居させようなんて、尋常の神経ではありません。また事情を知りながら同居しようとする和泉式部も大概ではないでしょうか。
ちなみに和泉式部は為尊親王と不倫をした時点で父親の大江雅致(おおえの まさむね)から勘当されていたものの、夫である橘道貞(たちばなの みちさだ)とは離婚が成立していません。
ともあれ二人の間には男子が生まれ、岩蔵宮(いわくらのみや)と呼ばれました。のち出家して永覚(えいがく)と号します。
寛弘4年(1007年)4月に三品(さんぼん。三位)へ昇叙した敦道親王。しかし同年10月2日、敦道親王は27歳の若さで薨去してしまいました。
若くして世を去った敦道親王。叔父の道長はかつて亡き父・兼家が寵愛していたことを思い出し、兼家ゆかりの法興院で七々日(四十九日)の法要を執り行ったそうです。
終わりに
敦道親王との死別も和泉式部は源雅通や治部卿(じぶのきょう。源俊賢か)とも恋仲が噂され、やがて橘道貞と離婚しました。
そして道長の家司を務める藤原保昌(やすまさ)と再婚。晩年から最期について詳しいことはよく分かっていません。
NHK大河ドラマ「光る君へ」ではセリフで言及されるのみですが、果たして敦道親王は登場するのでしょうか。
登場するなら誰がキャスティングされるかも含め、楽しみですね!
※参考文献:
- 上田正昭ら編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年1月
- 武田早苗『和泉式部』勉誠出版、2006年7月
トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
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