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本能寺の変、明智光秀の動機は四国にあり!?陰謀論を総括し真の原因をさぐる

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光秀の動機は「四国」にあり?

よって下手な陰謀説よりも、本能寺の変は光秀の突発的犯行だと考えるのが自然でしょう。

事件直前には畿内から織田家有力家臣が出払い、光秀だけが大軍を保有する状況にありました。彼が信長打倒を意識したとしてもおかしくはありません。

光秀の個人的な動機が何だったのかは諸説あるものの、近年は四国説が注目を集めています。

この頃の四国では、長年の激しい主導権争いに決着がつき、長宗我部家が支配権を固めつつありました。

その長宗我部家に、信長は四国の領土保障を約束します。そして双方の仲介役に選ばれたのが光秀でした。

彼が仲介に選ばれたのは、光秀配下の斎藤氏が長宗我部家と縁戚関係を結んでいたことが理由だったとされています。

しかし信長は方針を翻し、長宗我部攻めを決定してしまいます

光秀は融和を図るべく交渉したものの、結局両者は断交。光秀は面目丸つぶれとなり、信長からあからさまに遠ざけられてしまいました。

それまでも信長は林秀貞や佐久間信盛など、失敗したベテラン家臣を追放してきました。光秀からすれば、自分も同じように処分されるのではと、焦りが生じてもおかしくはありません。

そこで信長が少数で京にいる状況を好機と捉え、突発的に襲撃したのでは、というわけです。

一周回って光秀の怨恨説に戻ってきたかのように見えますが、私怨というよりも、信長と光秀の思惑のすれ違いや疑心暗鬼が原因だったんですね。

信長の油断と光秀の焦りといった偶然に偶然が重なり、突発的に本能寺の変という大事件が起きたのではないかというのが、現代の最新の考え方です。

参考資料:日本史の謎検証委員会・編『図解最新研究でここまでわかった日本史人物通説のウソ』彩図社・2022年

画像:photoAC,Wikipedia

 

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