江戸時代になんとタイで国王になってしまったサムライ・山田長政のサクセスストーリーが凄まじい!:2ページ目
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ついに国王に!しかし……
長政はソンタムの信頼を得ていく内に寛永5年(1628)には官位制度の三位である「オークヤ―・セーナピモック」を任ぜられます(セーナピモックは軍神の意味)。
しかし、翌年にはソンタムが跡継ぎを決めないまま崩御してしまい、王位継承を巡る政戦にソンタムの信任を得ていた長政は巻き込まれてしまいます。
長政は宮内長官であるシーウォラウォンと協力してソンタムの子どもを王位に就かせますが、新しい王の後見人となったシーウォラウォンが長政を排除しようと考えます。
そして、長政はアユタヤから遥か南にあるリゴールという王国の内乱を鎮めるためにリゴールへ向かわされます。
リゴールの内乱を平定した長政はリゴール王(六昆王)に任ぜられました。
リゴール王となったのも束の間、寛永7年(1630)のアユタヤではシーウォラウォンが国王を殺害し国王となっていました。
これを聞いた長政はシーウォラウォンの暴走を止めるためにアユタヤへ向かおうとしますが、侵入してきた隣国のパタニ軍との戦の最中に負傷してしまいます。
傷を癒そうと塗った軟膏に毒が含まれており、それが原因で長政は41歳で亡くなりました。
長政死後の日本人町はシーウォラウォンによって焼かれ廃墟となってしまいました。
駕籠者から一国の王になる出世を遂げた長政。日本とタイを繋げるために老中に斡旋する姿勢は日本とタイが好きという証拠でもあると思ってしまいますね。
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