赤い着物のおかっぱ禿たちが都を監視!平清盛が放った不気味な子どもスパイ集団の実態【後編】:3ページ目
そして「驕れる者は久しからず」…
この禿の存在は『平家物語』にしか記述がないそうです。
この子どもスパイに関しては、
▪︎栄華を誇る自信家の平清盛がそんなにせこいことをするだろうか
▪︎権力が増大するほど守りたいとしがみつくからどんなに汚い手でも使うだろう
▪︎お揃いのおかっぱに赤い着物など着ていたら、悪目立ちして逆に警戒するだそう
▪︎目立つ「制服」を着せ都をうろつかせることで、悪口や批判をしたいという気持ちの抑止力になっただろう
など、いろいろな意見があります。清盛は検非違使別当(天皇直属の警察・裁判を司る長官)に就任しているので、子どもをスパイにするなど意表をつく手法を駆使して敵対勢力を調査していたのも、納得できるという説もあります。
一説によると、いじめにあった子どもが親にそれを言いつけて、親が六波羅殿の禿たちに「あそこの家はみな平家の悪口をいっている」と密告したこともあるそうです。
もちろん、その後、この禿たちはどうなったのかは記されていないのでさだかではありません。
「平家にあらずんば人にあらず」とまで誇っていたのを逆転して「驕れる者は久しからず」という言葉が後世まで残ってしまった権力者一族。
己の栄華や権力を守りたいがために行なった手段が、逆に人々を荒ませ世の中を狂わせ支持を失い、結局は清盛の死後あっという間に没落し滅亡した…
と思うと、実に皮肉で、権力者の悲哀すら覚えるエピソードです。
もし、事実なら、いわれるがままにスパイを行なっていた六波羅殿の禿たちは、その後どのような人生を送ったのでしょうか。