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武士の世が過ぎ去っても剣術に生きた、幕末・明治の剣豪・得能関四郎はなぜ自刃したのか

武士の世が過ぎ去っても剣術に生きた、幕末・明治の剣豪・得能関四郎はなぜ自刃したのか:2ページ目

篭手打ちの名人・得能関四郎の戦歴

当時は官公庁にも名だたる剣客たちが多く在籍しており、関四郎は彼らと度々勝負しています。

得能関四郎の主な戦歴

  • 明治15年(1882年)7月6日
    吹上御苑の天覧試合にて
    柿本清吉(かきもと せいきち。警視庁)に勝利
  • 明治16年(1883年)11月4日
    向ヶ岡弥生社の撃剣大会にて
    磯貝昇(いそがい のぼる。憲兵)に勝利
  • 同年12月某日
    関西剣客代表との対抗戦にて
    高山峰三郎(たかやま みねさぶろう。滋賀県警)に敗北
  • 明治17年(1884年)6月22日
    宮内省済寧館大会にて
    松崎浪四郎(まつざき なみしろう)と引き分け
  • 同年11月8日
    向ヶ岡弥生社全国撃剣大会にて
    松崎浪四郎と再戦、勝利

関四郎は篭手(こて。手首)打ちで勝つことが多く、人々からは「篭手打ちの名人」と呼ばれました。

3ページ目 ステッキ一本で暴漢を撃退!「フロックコートの剣士」の異名をとる

 

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