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恐妻家と嫉妬妻? 徳川2代将軍・徳川秀忠と継室・江(崇源院)の関係性【前編】

恐妻家と嫉妬妻? 徳川2代将軍・徳川秀忠と継室・江(崇源院)の関係性【前編】:2ページ目

妻・江(崇源院)

1595年。徳川家康の三男・徳川秀忠と結婚。江は、過去に織田家の家臣であった「佐治一成(さじかずなり)」及び、豊臣秀吉の甥である「豊臣秀勝(とよとみひでかつ)」と婚姻関係にあり、秀忠との結婚は三度目であった。

浅井三姉妹の末っ子として有名であり、母親・市は織田信長の妹。小柄で華奢な人物であったことがわかっている。

江の人物像に関しては、資料「柳営婦女傳系」に、「 御臺(お江の方)御嫉妬深ければ〜」という記載が確認できる

子女

秀忠と江の間には7人(二男五女)の子供がいた。中でも1604年に誕生した徳川家光は、後に徳川3代将軍となり征夷大将軍となる。

秀忠と江の子、徳川家光(とくがわいえみつ)(Wikipediaより)

徳川幕府の長い歴史において徳川将軍の正室であり、次代将軍の生母となったのは江だけだった。子女の多さからも推察できるように、夫婦の関係性は良好であったとされる。

秀忠は表向き正式な側室を持たず、江と添い遂げた

【後編】では、恐妻家や嫉妬妻との逸話が残る理由について考察する。

【後編】の記事はこちらから

 

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