天下人・豊臣秀吉にいたとされる4人の実子は本当なのか?現代まで残る風説を紹介【前編】:2ページ目
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①羽柴秀勝(石松丸)
秀吉最初の実子であると考えられている。母親の詳細はわかっていないが、側室であったようだ。秀吉が長浜城主時代にできた子供らしく、幼名を「石松丸(いしまつまる)」といった。
秀吉が長浜城主となったのは1573年であり、秀吉の生誕を1537年とすると(諸説あリ)、30代中頃以降にできた子供という事になる。秀吉は子供の初名に「秀勝(ひでかつ)」と名付ける慣習があったようで、石松丸や後に迎え入れた養子たちにも同名を与えている。
死亡は1576年とされる。滋賀県長浜市に点在する寺には、石松丸と思われる供養塔や位牌が現存しており、死亡年の信憑性は高いと考えられているが誕生年は不明だ。秀吉が長浜城を築城した年から逆算すると、3歳から4歳で早世した計算になる。
②女児
名前や生年月日などの詳細はわかっていない。母親は秀吉の側室であったとされる「南殿(みなみどの)」と考えられている。この人物は秀吉が長浜城主時代に迎えた側室の一人で、前述の石松丸も南殿の子供と考えられている。
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