「大日本帝国憲法」はドイツの真似ではない!?欧米の政治制度からの脱却を試みた伊藤博文たち【前編】:2ページ目
明治政府と共に近代化へ
しかし、1850年代にナポレオン3世がフランスを軍事大国化し、1860年代にサルディーニャ王国がイタリア王国を成立させると、ドイツでも近代化と統一の機運が高まります。
周囲に強国が生まれたことにより、分裂したままの状態だと併呑されるおそれがあったからです。
しかし、伝統的な大国オーストリアを中心にまとまるか、東方の新興国プロイセンを中心にまとまるかで領邦間で対立が見られるようになり、いろいろな曲折の後、プロイセンがオーストリアを戦争で破り、プロイセン中心のドイツ統一が進むことになりました。
日本国内では明治維新が始まり、廃藩置県が実施されて中央集権国家建設への道を歩み始めていた頃でした。ちょうどその時、プロイセンはナポレオン3世を戦争で破り、ドイツ帝国を成立させていたのです。
プロイセンの首相にして、ドイツ統一を実現して宰相となったのが、かのオットー・フォン・ビスマルクです。