自己犠牲をいとわない英雄の決断!30倍の戦力差を覆した伝説の足軽「鳥居強右衛門」:3ページ目
鳥居強右衛門の決断
囚われの身となった以上、鳥居強右衛門に選択肢はありません。
彼は敵将の命令に従うことを約束しました。
ところが鳥居強右衛門は、武田軍監視のもと、城内に対して「数日中に4万もの援軍が来る!」と叫んだのです。彼の報告に城内は空を揺るがすほどの大歓声が湧き上がり、失われつつあった士気が最高潮にまで到達。
この裏切りに激怒した武田軍は、見晴らしの良い場所で彼を磔(はりつけ)にして何度も串刺しにしました。
武田軍は、その後に駆けつけた徳川家康と織田信長の連合軍に大敗。戦場で最下層の身分である足軽の大活躍により、長篠城は救われたのです。
後日談
長篠城城主は鳥居強右衛門との約束を守り、彼の息子を取り立てて100石の領地を与えて子孫に至るまで厚遇しました。
さらに、鳥居強右衛門の忠義心を知った織田信長は彼の墓を建設。現在も愛知県新城市で、権現(神)として祀られています。