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伊周たちのその後、『枕草子』書名の由来、ポスト定子は誰?大河ドラマ「光る君へ」5月26日放送振り返り

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ポスト定子を争う藤原元子と藤原義子

独走状態であった定子が出家したことにより、中宮争いが過熱しました。

その有力候補として挙がったのが、藤原顕光(宮川一朗太)の娘である藤原元子(げんし/もとこ)と、藤原公季(米村拓彰)の娘である藤原義子(ぎし/よしこ)。どちらも血筋としては申し分ありません。

藤原元子

生没年不詳

母親は盛子内親王(村上天皇皇女)で、長徳2 年(996年)11月14日に入内。同12月2日に女御となり、承香殿女御(じょうきょうでんのにょうご)と呼ばれました。

長徳3年(997年)10月に懐妊したため、年末に里へ下りますが、その様子を義子の女房たちが御簾の陰から見ていたと言います。

その様子を見た元子の女童が「おたくが孕ませられるのは、御簾だけですか?」と嘲ったとか。

当時はこの手の露骨なハラスメントが横行していたことがよく分かります。

しかし元子も結局は出産に至りませんでした。記録には見当たらないものの、義子陣営からの逆襲があったろうことは想像に難くありませんね。

一条天皇との崩御後は源頼定との関係で父から勘当されてしまうのですが、それはまた別の話し。

藤原義子

天延2年(974年)生~天喜元年(1053年)没

母親は有明親王女。元子よりも一足早い長徳2年(996年)7月20日に入内、8月9日に女御となりました。

弘徽殿に住んだことから弘徽殿女御(こきでんのにょうご)と呼ばれます。

順調に昇進して正二位となるも、一条天皇との間に皇子は生まれませんでした。

万寿3年(1027年)12月18日に出家、天喜元年(1053年)閏7月に80歳という長寿を全うします。

どちらもポスト定子を勝ち取れなかったものの、熾烈な寵愛争いが劇中で描かれるのか、楽しみですね!

3ページ目 『枕草子』書名の由来は?

 

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