不仲夫婦? 幕末の動乱下、10年の別居婚を経験した徳川慶喜と一条美賀子の夫婦生活【前編】:2ページ目
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妻・一条美賀子(いちじょうみかこ)
1835年。実父は今出川公久(いまでがわきんひさ)、養父は一条忠香(いちじょうただか)。どちらも公卿(国政機関で政治を担う最高位の職)であった。
1853年に徳川慶喜と婚約。55年に結婚。
1860年以降、井伊直弼による慶喜の謹慎が解かれると共に別居。
1866年。慶喜が徳川15代将軍となるも、慶喜は京都に在京中であり、将軍の正室でありながら大奥入りすることはなかった。
1869年。静岡の地で慶喜と同居。
代役としての結婚
本来、慶喜は公卿・一条忠香の養女・輝子(千代君)と婚約していたが、輝子が疱瘡(天然痘)に罹患したことから婚約が流れた経緯がある。
婚約相手がいなくなった慶喜には、同じく一条忠香の養女であり、輝子の養姉にあたる美賀子が急遽代役として立てられ、慶喜と婚約することになった。
【後編】では、2人の関係性や結婚生活についてご紹介する。【後編】の記事はこちら
不仲夫婦? 幕末の動乱下、10年の別居婚を経験した徳川慶喜と一条美賀子の夫婦生活【後編】
幕末の動乱期に結婚した徳川15代将軍「徳川慶喜(とくがわよしのぶ)」と「一条美賀子(いちじょうみかこ)」。2人には長らく不仲説が囁かれている。今回は【前編】に続き、2人の関係についてご紹介す…
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