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清少納言・和泉式部・赤染衛門…紫式部は同時代の女性たちをどう評価したのか?【前編】

清少納言・和泉式部・赤染衛門…紫式部は同時代の女性たちをどう評価したのか?【前編】:2ページ目

歴史上の二人の関係

大河ドラマ『光る君へ』ではファーストサマーウイカの演技が冴え、紫式部とも共演していますが、実際には長保2(1000)年に定子が没し、主を失った清少納言は宮廷を去っています。

史実としては、紫式部が出仕したのはその後の寛弘2(1005)年頃なので、二人はすれ違っており実際には面識はなかったと思われます。

しかし『紫式部日記』には、清少納言に対する痛烈な批判が綴られています。

清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
(清少納言こそ、得意顔で偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢字を書き散らしていますが、よく見るとたいへんに未熟な部分が多くあります)

かく、人に異ならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
(あのように他の人とは違うのだとばかり思っている人は、必ず見劣りし、行く末は悪いことばかりになるはずです。 風流に染まり切った人は、風流にほど遠い折にも風流を気取り、的外れなつまらない結果を招くものです。誠実でなくなってしまった人の果ては、どうして良いものになるでしょうか)

紫式部が、なぜこれほどまでに清少納言に対する辛辣な批判を日記に残したのか、その理由ははっきりしていません。

3ページ目 公平さを欠く評価

 

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