居城を失い浪人に落ちぶれた戦国武将・尼子経久…なんと『とある舞』で城に忍び込み奪還に成功していた:3ページ目
守護代から守護への地位を固める
その後、経久はお家騒動に敗れた出雲守護・京極政経を匿ったことで関係を修復させ、明応9年(1500)に守護代としての地位を完全に復活させました。
政経の死後には、宍戸氏と婚姻関係を結び、勢力を有していた塩冶氏をけん制し、権力基盤を確立させていきます。
そして、政経の後継者である吉童子丸が永正11年(1514)に病死すると、経久は権力者がいない出雲国を乗っ取りました。
ただ、この時点では守護代の地位でありましたので、大永年間(1521年~1528年)に出雲守護に任命されたことで、名実ともに出雲国を手中に収めました。
また、月山富田城奪還に協力した鉢屋弥之三郎は、月山富田城本丸北にある鉢屋平に長屋を与えられ、以後やぐら下郎と呼ばれるように。
その後は忍者となり、賀麻党を率いて奇襲やだまし討ちで功績を挙げ、最後まで尼子氏のために尽くしました。
参考:二木謙一『誰かに話したくなる日本史こぼれ話200』2006年、日本文芸社