居城を失い浪人に落ちぶれた戦国武将・尼子経久…なんと『とある舞』で城に忍び込み奪還に成功していた:2ページ目
浪人経久、鉢屋衆に目をつける
浪人となってしまった経久は、再起を図るべく鉢屋衆(はちやしゅう)に目をつけます。
鉢屋衆は祭礼や正月に芸を演じる芸能集団で、月山の麓に住む鉢屋衆は賀麻党(かまとう)と呼ばれていました。
経久はその党首・鉢屋弥之三郎(はちや-やのさぶろう)を味方に付け、賀麻党が月山富田城で毎年催す新年を祝う舞・千秋万歳(せんずまんざい)に紛れて城を奪還する計画を立てました。
奇襲成功により城を奪還
文明18年(1486)の元旦、賀麻党70人は計画通り太鼓や笛を鳴らしながら月山富田城へ進入。城内の兵たちは舞に見入っていました。
その隙に忍び込んでいた経久は各地に火を放ちました。これを合図に賀麻党は、身にまとっていた烏帽子や素襖を脱ぎ捨て、隠していた具足と武器で奇襲を仕掛けます。
突然のことに対処できず、城内は混乱状態。混乱を抑えきれず、月山富田城の城主だった塩冶掃部介(えんや-かもんのすけ)は妻子を殺害した後に自害しました。
こうして、経久は再び月山富田城の城主に返り咲きました。