紫式部、結婚に踏み切る!ふられてもラブレターを送り続けた藤原宣孝の一途さ…「光る君へ」でどう描かれる?:3ページ目
越前を離れて結婚へ
このような素っ気ない手紙を受け取った宣孝ですが、ある時、式部の気を引くための工夫をしました。真っ白い紙の上に朱色の墨を点々と滴らせて、「私の涙の色です」とだけ書いて送ったのです。それに対する式部の返事は次の通りです。
紅の 涙ぞいとど 疎まるる 移る心の 色に見ゆれば
(紅の涙を見て、ますます疎ましくなりました。移ろいやすいあなたの心の色に見えるので)
すぐに色あせてしまう朱色の墨を、移ろいやすい宣孝の心の色に重ねたわけです。さらに式部はこの歌の後に、
もとより人の女(むすめ)を得たる人なりけり
(もともと、妻のいる人なのです)
と綴っています。
これらの文面だけを読めば、全く脈無しのように感じられますね。とはいえ、本心から嫌っていれば返歌を贈ったりはしないでしょう。ある意味で、二人の関係は深まっていったと言えます。
寒さの厳しい遠国にいる式部は、もしかすると都から届く宣孝からの便りを待ちわびるようになったのかも知れません。
あるいは、どんなに冷たくあしらっても諦めず、恋の歌をせっせと送ってくる歳の離れた宣孝に、親しみを感じるようになったとも考えられます。
長徳3(997)年の晩秋から翌年の春にかけて、紫式部は父を越前に残してついに単身で帰京しました。武生で暮らしたのは1年半ほどだったと考えられています。式部が京を離れたのは、生涯でただ一度、この期間だけでした。
そして京都へ戻った彼女は、間もなく宣孝と結婚したのです。
参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)
トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより