首級を挙げる活躍!戦国時代に存在したイタリア人の武士「ロルテス」こと山科勝成の実在性:2ページ目
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難破した末の最後
その後、氏郷は文禄元年(1593)に朝鮮に出兵する軍艦建造のための船大工確保に向けて勝成をヨーロッパに派遣します。
しかし、勝成を乗せた船は途中で難破。ベトナムに到着するも、その地の現地人に殺害されました。
ちなみに、勝成の最後は『御祐筆日記抄略』に記載がなく、外務省が明治17年(1884)に編纂した『外交志稿』に残っています。
実在が疑問視されている勝成
ここまで勝成の活躍や生い立ちを紹介しましたが、実際のところ勝成は実在していたのか疑問視されている人物であります。
その理由として、氏郷宛に勝成の紹介状を書いた人物が不明であること、大砲を用いた珍しい戦法を使ったのにも関わらず、他の史料に記録が残っていないなどがあります。
また、勝成の活躍を記載している『御祐筆日記抄略』の成立年は寛永19年(1642)。しかし、成立年には使用されていなかった言葉が使われているので、信頼性が薄くなっています。
そのため、数々の創作により、「本名はジョバンニ・ロルテスで、イタリアでは聖ヨハネ騎士団に所属し、イタリア人宣教師オルガンティノの護衛だった」設定が追加されています。
歴史に絶対はありませんので、浪漫に満ちあふれた山科勝成ことロルテスの実在を裏付ける発見があることを願ってしまいますね。
参考:安部龍太郎『信長になれなかった男たち 戦国武将外伝』2019年、幻冬舎
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