実は兼家がスポンサー!?後世の文学に影響を与えた藤原道綱の母による『蜻蛉日記』について知ろう:2ページ目
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『蜻蛉日記』と藤原兼家
『蜻蛉日記』には、確かに藤原兼家への不満ともとれる記述があります。しかし、求婚中に兼家が送った情熱的な和歌や、彼女が妊娠中に兼家が送った愛情溢れる和歌なども載っています。
このように、兼家の和歌も多く載っていることから、兼家の協力もあってできた宣伝の書物ではないかという考え方もあります。また、『蜻蛉日記』は長編であり、いくら藤原道綱母の実家が中流貴族だったとはいえ、ひとりで書き上げるのは難しく、兼家がスポンサーとなったのではないかとも言われています。
『蜻蛉日記』の文学的意味
『蜻蛉日記』は日記文学のひとつですが、まずは「日記」ではないことに注意が必要です。他人に見せることを前提としない「日記」に対して、「日記文学」は公的なもので、他人に読んでもらうことを前提とした文学です。記述や描写が文学として優れていることも特徴です。
『蜻蛉日記』は、後世の文学にも大きな影響を与えました。『蜻蛉日記』は女性の立場を描いた作品としてパイオニア的な存在となり、紫式部が書いた『源氏物語』もこのテーマをさらに発展させたものとして考えられています。
また、自分の心情や経験を客観的に省察する「自照文学」のはじまりとも捉えることができます。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
トップ画像:蜻蛉日記(岳亭春信画)Wikipediaより
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