幕末の志士たちを震え上がらせた新選組!10人の組長たちの終焉を紹介【後編】:2ページ目
鈴木三樹三郎 九番隊組長
鈴木三樹三郎は、新選組参謀となった伊東甲子太郎の実弟。伊東とともに新選組に入隊し、九番隊組長に任命されます。しかし、鈴木三樹三郎が新選組で残した実績はほとんどありません。伊東の実弟だったため組長になれたのかも…..。
美男子であった様子が、残っている写真からうかがえます。しかし、剣術が苦手で永倉に習っていたとも。素行不良で九番隊をまとめられなかったようです。そのため組長なのにほとんど取り上げられることがありません。
鈴木三樹三郎の終焉
鈴木三樹三郎は81歳で老衰により死去します。つまり大正まで生き残ったのです。兄と一緒に新選組を脱退し、御陵衛士壊滅後は赤報隊の二番隊隊長に就いたり投獄されたりと、新選組の脱退後の方が活発な動きを見せています。
やはり剣客集団新選組の組長としては心許なかったのかもしれません。
原田左之助 十番隊組長
新選組の組長として今も人気のある原田左之助は、「試衛館」の食客でした。永倉とともに新選組を支え続けた古参隊士です。槍術の腕も相当なものだった様子。もちろん他の幹部からの信頼も厚く、浪士組の頃からほぼすべての任務で活躍を残しています。
容姿はかなりの男前であったようで、土方に並ぶ美男であったとも。性格は威勢がよく短気。まさに新選組のムードメーカーだったでしょう。そんな原田左之助は、仲の良かった永倉と同時期に新選組と袂を分かちます。
原田左之助の終焉?
新選組から離れた後、永倉とともに「靖共隊(せいきょうたい)」副長に就きました。しかし、隊とともに会津へ向かう途中、突然「用事を思い出した」といい江戸へ引き返し、それが永倉との永遠の別れとなったのです。妻子に会いたくなって江戸へ引き返したと言われています。その後の消息ははっきりしません。
「彰義隊」に入って上野で戦死したとも、生存して大陸に渡り馬賊の頭目になったとも言われています。明治40年頃には、原田左之助を名乗る老人が現れたという話も。
まとめ
今回は前編・後編にわたり、新選組の10人の組長の人物像と終焉の時について紹介しました。死というものが本当に身近に存在したことがわかる終焉の時でした。
幕末のわずかな時を、花火のように瞬間的に光輝いた新選組に、本やドラマを通して触れてみてはいかがでしょうか?