実は道長にはもうひとりの姉が!大河「光る君へ」に登場なし…藤原道長の姉・藤原超子とは?:2ページ目
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寝るなー!藤原超子の死因は……
我が子の皇位継承を見届けることなく、若い生命を散らせてしまった藤原超子。その死因はハッキリしないものの、こんなエピソードが伝わっています。
超子が最期を迎えたのは、庚申待(こうしんまち、こうじんまち)の夜でした。庚申(こうしん/かのえのさる)とは六十日に一度めぐる干支の日です。
この日に眠ると、体内に眠っている三尸虫(さんしのむし)が身体から抜け出して、閻魔様に本人の悪事を告げ口にいくのだとか。
しかし眠らなければ三尸虫は体内に留まり、悪事を告げられずに済むと言います。
だから庚申の日はみんなで徹夜、何とか眠らないように夜明けを待ったのでした。
この庚申待の夜が明けようとする時、超子は眠るように息を引き取っていたのです。
ついうっかり眠ってしまい、三尸虫と一緒に霊も持っていかれてしまったのでしょうか。
家族一同は大いに悲しみ、いらい兼家の一門では、庚申待を一切やめてしまったということです。
終わりに
以上、道長の姉・藤原超子について紹介してきました。
やがて10数年の歳月が流れ、三条天皇が即位した寛弘8年(1011年)12月27日に皇太后(こうたいごう。天皇陛下の母、または元天皇陛下の妻)の称号が贈られます。
超子は宇治陵に葬られ、道長たちを見守ったことでしょう。
我が弟(道長)に虐げられ、譲位の圧力をかけられ続けた我が子(三条天皇)の姿に、気が気ではなかったかも知れません。
大河ドラマには登場しなかったものの、彼女が遺した三条天皇の活躍を、ぜひとも見届けたいですね!
※参考文献:
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