あまりに残酷すぎる…腹を切りフランスに内蔵を投げつけるなど狂気に満ちた切腹が行われた「堺事件」とは?
処刑当日
処刑当日、切腹を申しつけられた土佐藩兵ら20名とフランス政府やその関係者らが堺市にある妙国寺に集結。
この切腹は、腹を裂いた後に内臓を掴んで差し出したり、自身の内臓をフランス水兵に投げつけたりと想像を絶するものでした。
さらに、本来であれば一斬りで首を切り落として切腹者を楽にしてあげるはずの介錯人が、わざと首を一回で切り落とさずに何度も何度も斬りつける残酷なシーンが永遠に続いたそうです。
この状況を間近で見ていたフランス政府や関係者らは絶句。あまりの残酷さに耐えられなかったフランス側から、11人目の処刑時に中止が要請されました。
一方で、この処刑を中止した理由として、報復を恐れたという説や恩を売るためといった説もあるようです。
この事件で切腹をした土佐藩兵のお墓は、堺市にある妙国寺に建てられており、現在でも参拝することができます。
※「堺事件」をさらに詳しく解説:処刑メンバーを「くじ引き」で決定。幕末に起きた凄惨な切腹劇「堺事件」【前編】
幕末期の日本には異国船が多く来航した。多くは軍艦であり、国内の港には諸外国の水兵の姿が溢れた。そんな中、諸藩の志士や外国船乗組員との間では死傷者を出す事件も発生した。今回は、外国人殺傷事件の中…処刑メンバーを「くじ引き」で決定。幕末に起きた凄惨な切腹劇「堺事件」【後編】
幕末期の日本には異国船が多く来航した。多くは軍艦であり、国内の港には諸外国の水兵の姿が溢れた。そんな中、諸藩の志士や外国船乗組員との間では死傷者を出す事件も発生した。今回は【前編】に続き、外国…
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